ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

民主主義の崩壊

 先日行われた参議院議員広島地方区の補欠選挙投票率は33%あまり、得票率は5人の出馬があったこともあり、なんとか野党候補が50%をキープして当選。実際の支持率は0,34×0.5×100=17、つまり広島県民の投票権を持つ18歳以上の人々の17%の支持で参議院議員が誕生した。金権選挙の後始末で行われた選挙だが、住民の関心は上がらなかったようである。同じ日、名古屋でも市長選があり、現役の市長が5選を果たした、これも投票率は42%あまりでしかなかった。国政選挙も50%台の投票率であれば、上々という関心の薄さである。投票権を行使できることが、民主政治の基本である。自分たちの生活改善を託すために、代表者を選出する。そのような意味がどんどん薄れてしまっているようである。

 

 投票率が低いのは、魅力的な候補者が出馬しないためなのか、それとも地方自治体の代表者を決める選挙そのものに魅力がなくなってしまったのか。あるいは、もはや政治に対する思いや期待がほとんど失われてしまったが故にか、選挙のたびに投票率が下がっている。選挙は政治を託せる代表者を選出するために行われる。それがいつしか、投票したい政党や候補者がいなくなった。期待して投票所にいって意中の候補の当選に寄与しても、なんら生活は改善する気配がないし、それどころか、どの政党も信頼できない。議員や首長に就いても、劇的な変化はほとんどない。こんな状況が繰り返されれば、民主主義に対する幻想は消え失せてしまうだろう。

 

 しかし、主権者である国民が白けてしまえば、絶対的な支持率は低くても国会で多数議席を占めることは可能になるし、事実現在の自民党のように第1党として長年にわたって国会の多数派として君臨し、さらには行政府を牛耳り続けることもできるのである。それを主権者である国民の怠慢の結果である考えると、現状を容認し追認してきたのは国民自身であったのかもしれない。国会で理不尽な強行採決が行われても、様々な疑惑が与党や政府内で起きても、それを横暴だという小声はあげれても、その決定を覆すような動きにはならなかった。マスコミが騒ぎ立て雑然としても、しばらくたてば何事もなかったかのように、白けた茶番劇として忘れ去られていく。そしてますます、政治離れが国民の間で進行し続けるのである。

 

 新型コロナの感染者が増加をたどっている。3度目の緊急事態宣言が出されても増え続けている。人との接触を可能な限り避ける。まるで禁酒法時代だという悪評もある飲食店での酒類提供禁止などの措置がとられても減らない。いや効果がすぐに出てこないだけの話かもしれない。そんななかで今朝NHKで東大大学院の東大大学院の経済学者グループが緊急事態宣言解除の際の感染者数と経済的な損失というテーマでシミュレーションを行った結果を発表した。それによると、東京都では5月第2週で500人を下回った段階で解除しても6月4週には1000人を越す感染者数になるという。また、6月第2週で250人を下回った段階で解除した場合、8月第2週で1800人を超える感染者数になると予測され、いずれも経済的損失は3兆5000億円を超すだろうということである。一方、7月第4週に100人を下回る段階なら、ワクチン効果とあいまって、それ以後感染者数は抑制され、経済的損失も2兆6億円程度に収まるという。

 

 また大阪府の場合では、一日250人を下回った段階での解除なら、10月には1000人を越す感染者数が予測され、経済的損失は2兆4千億円になる、一方で一日100人を下回る段階までまって解除すればその後の感染者数は落ち着き、経済的損失も1兆9千億円を超えないと考えられる。

 

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会が500人の看護師派遣を日本看護協会に要請したことも相まって、いよいよ国民の安全を真剣に考える時期を迎えようとしている。医療のひっ迫状況もそうであるし、すぐに終息しそうもない新型コロナ騒動に対してどのように対応していくのか。そろそろ政治的決断を明確にする必要があるのではなかろうか。日本として、どのような決断をすべきか真剣に議論してもらいたいものである。