ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

コロナ禍での日常生活?

 頑張った自分にご褒美。収入の上がらない雌伏の時を長く過ごしていると、我慢していたことを少しだけ開放して自分自身を甘やかすわけではないが、緊張感を解きほぐす意味でも、自分を褒めたくなることがある。それで、自分自身を元気づけて、また日常生活に回帰できるのである。

 

 10月から心臓に異常を訴えて入院していた知人が亡くなった。コロナ禍という、100年に一度という感染症に世界が慄いている中、医療が比較的落ち着いていたにも関わらず、万全の治療を受けながらも、永らえることができない人もいる。本人がいざというときには使用を望んでいた人工呼吸器を臨終間際には装着したし、エクモももし使用することで意識が戻るならと家族が望んだ結果装着してもらえた。考えうる医療措置を最後まで施してもらって、知人はあの世に旅立った。

 

 大阪府が医療非常事態宣言を出して、不急の手術の延期などを要請したのが今日の話である。そういう意味では昨日亡くなった知人は恵まれていた。そしてこれからは、救急車を呼ぶのもためらわれる事態に突入する。たとえ119番せざるを得なくなったとしても、すぐに搬送される可能性が低くなりそうな状況になるだろう。日常生活の中での営みにおいて、今一歩注意力を高めて過ごすような意識の高さが求められる。

 

 オミクロン株の猛威は、欧米でようやく峠を越えた感はあるが、感染力の強さを懸念して感染者の隔離を丁寧にやっていけば、医療のひっ迫はやむを得ない。いつまでも感染症2類として濃厚接触者の選別を強いていてもあまり意味がない状況になりつつある。これは暴論かもしれないが、感染者がピークに達する時が、いわゆる集団免疫の獲得の時かもしれない。そうであればと願うばかりである。マスク装着が非日常化する日が近づいていると信じる。