ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

指導者としての真価が問われている?

ドイツのメルケル首相が3月18日に行った演説は、実に感動的な内容であった。まず、「すべての国民の皆さんが、この課題を自分の任務として理解されたならば、この課題は達成される、私はそう確信しています。ですから、申し上げます。事態は深刻です。(中略)第2次世界大戦以来、我が国においてこれほどまでに一致団結を要する挑戦はなかったのです」と、問題の深刻さを規定した。そして、つぎに、「公的な生活を中止すること」が必要だとした。ただし、「理性と将来を見据えた判断を持って国家が機能し続けるよう、供給は引き続き確保され、可能な限り多くの経済活動が維持できるようにします。」と述べた。

 さらに、「経済的影響を緩和させるため、そして何よりも皆さんの職場が確保されるよう、連邦政府は出来る限りのことをしていきます。企業と従業員がこの困難な試練を乗越えるために必要なものを支援していきます。そして安心していただきたいのは、食糧の供給については心配無用であり、スーパーの棚が1日で空になったとしてもすぐに補充される」と、政府の役割を約束した。最後に、「私たちがどれほど脆弱であるか、どれほど他者の思いやりある行動に依存しているかということ、それと同時に、私たちが協力し合うことでいかにお互いを守り、強めることができるか、ということです。状況は深刻で未解決ですが、お互いが規律を遵守し、実行することで状況は変わっていくでしょう」と述べた。ドイツは、医療崩壊を起こすこともなく、感染者数は4月18日現在で世界5位の14万1397人と多いものの、死者数は4352人に抑え込み、危機的状況からは遠いところにある。財政出動も速やかにそして的確に行われており、経済的な破綻の気配はなく市場の混乱も最小限に抑えられている。

 

 対して、日本はどうなのでしょうか。安部首相は責任をもってという言葉を国会答弁などで何度も繰り返しているが、4月7日緊急事態宣言を出すにあたって、外国人記者の「失敗した場合どのような責任を取られるのか」という質問に対し、「最悪の事態になった時に、私が責任を取ればよいというものではありません」となんとも珍妙な答え方をしている。総理が何度も繰り返し述べてきた「責任をもって対応させていただきます」の責任とはいったい何を意味するのであろうか。行政府の長として、責任の所在を明らかにして、明確に説明する責任を果たすことを求められているにも関わらず、実行できないのであればさっさと退陣すればよい。緊急事態宣言発令によって、委任された独裁権を行使するならば(意識するとしないとにかかわらず)、その責任の重みを理解する者に譲り渡すべきである。1945年第二次世界大戦の敗戦を受け入れて以来、最低最悪の無能な宰相として名を遺すつもりなら、その地位に居座るのも仕方ないだろうが、そうでなければ進退を熟慮すべき時であろう。覚悟もない者が、空虚な言葉を羅列し続ける姿は滑稽でしかない。

 

 一律10万円の給付金は、必要とする人に速やかに行き渡ることを最優先に考えるべきである。言い換えれば給付される時期は早ければ早いほど良い。雇い止めなどですでに生活困窮に陥っている人にとっては、それこそそのお金で一息ついている間に、ほかの給付金を申請してもらい追加給付を受け取れるようにすればよいのではないか。今は精査をして上から目線で、恵んでやれる人を選別するのではなくではなく、これこそ行政の仕事として、国民の窮状を少しでも改善する方向で仕事を進めてほしいものである。最終的には、来年春の確定申告により帳尻を合わせるようにすればよい。一時的な経済の落ち込みであれば、不景気対策程度で済むだろうが、今回のコロナウイルス感染拡大の影響は、1929年におこった世界大恐慌以来のものになる可能性がある。下手をすれば倒産企業が続出し、巷には未曽有の失業者が生まれる可能性が高い。日本経済が火が消えたように冷え込み、街から笑顔が消えてしまう恐れがある。そこまで落ち込まなければ幸いであるが、行政はそのリスクを最大限回避するために全力を挙げるべきである。