ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

マスクのひもが切れた

 コロナ感染拡大は、日常生活を根こそぎ変えていくかもしれない。私事で申し訳ないが、先日チケットがようやく手に入ったので、今シーズン初めて花園ラグビー場に向かった。しかし、コロナ感染拡大のおかげで、入場の際にマスクを必ずつけてくださいと言われた。あわてて持ってきたマスクをしようとすると、間の悪いことにマスクのひもが切れてしまった。突然のことであったため、予備も持ち合わせていなかった。チケットのチェックをしていた人も当惑気に、予備は持っておられませんかと聞くが、大体一つしか持ち歩かない(できればしたくない)。マスクの予備を入れた服もあるのだが、残念ながらその服を着てはいない。そこでテープがあれば修繕して使うよと言ったものの、係の人は思案気に、上司に対処方法を問い合わせた。5分ぐらいそこで足止めをくらっていると、たぶんさきほど連絡していた上司の人がマスクをもって駆けつけてくれた。それでようやく解放された。

 

 マスクがなかったがゆえに、入り口で足止めをくらってしまった。それ自体は仕方がないと思えるのだが、ラグビー場は閉鎖空間ではない。マスクの効用がどれほどあるのか定かではないが、一人ぐらいマスクをしていなかったところで、感染リスクが高くなるわけではない。もちろんその一人を見逃すことで、規律は極端に緩んでしまうことも理解できる。スタッフもファンに文句の一つも言われるよりは、予備のマスクがあれば渡そうという温情を示してくれたのであろう。情状酌量というほどではないが、一度決めたルールを少しでも緩めると、当初想定していた結果を得ることはとてもできない。

 

 国家権力は、それで治安維持を可能にしているのである。そこそこの強制力をもつことで国民に法律を遵守させるのである。学校の校則は、学生が最低限守るべきルールを規定することによって学生の学校生活をコントロールする。憲法や法律は国民の安全や人権を守るために制定されるのである。ラグビー協会がコロナ感染禍のなかで観戦ルールを定めるのも、その考えの延長線上にある。

 

 ラグビー場の観戦ルールだから、厳しく運用することが必ずしも正解とは限らないが、それを実際に運用するスタッフたちがばらばらの認識であっても困る。イレギュラーな事象は少なからず起こるのだから、今回のように柔軟な対処を心がけてもらえればありがたい。今までとは違う違和感を感じつつも、なんとか入場できた。

 

 しかし、行政が今までに決められている法律にないことを言い出したり、従来の法律の解釈を変更するときには、正式な手続き(国会での審議)を経て実行しないと、権力の横暴になってしまう。多数を頼りに、恣意的に自分たちの正義を国民に向けて振りかざすことは、行政のありかたではない。法律に基づいて政治が行われることが民主主義なのであるから。コロナ禍という緊急事態の中での行政であっても、いやあるからこそ権力はその正当性を主張するために求められた説明責任は果たさなければならないし、法律で決められた手続きを丁寧に踏む必要があるのではないかと考える。