ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

「華がないといわれた菅義偉首相」という評価を覆せるか?

 本格的な寒波の到来とともに、新型コロナの感染者数が増加傾向にある。そして重症者の数が追い打ちをかけるように増えてきており、マスコミは医療の現場がひっ迫する状況を毎日のように伝えている。行政はよく頑張ってきたと思うのだが、こうなってしまうと冬を迎えるまでにやっておかなければならなかった新型コロナ対策が万全にできていたかというと、首をかしげる結果しか得られていないのであろう。

 

 今年は学校の一斉休校が2か月近く行われ、経済的な混乱を避けるために、10万円の一律給付が行われ、企業の経営継続を可能とするために休業手当など公的な経済的支援が財政赤字にもかかわらず行われた百年に一度歩かないかの異例の年になった。そんな異様な一年が、医療崩壊が懸念される事態の中で師走を迎えた。起こるべくして起きた医療現場でのクラスター発生も一因であろうが、医療現場で求められている不足する医師や看護師をどうするのか、あるいは必要な数の人工呼吸器の確保を急ぐ問題もあったはずである。大阪ではハード面での準備は順調に進められたが、そのハードを支える人材がそろわないまま、悲鳴を上げてしまった。

 

 北海道の鈴木知事や、大阪の吉村知事、そして東京の小池知事は先頭に立ってコロナ対策に躍起になっている。ひるがえって菅義偉首相は、コロナ問題ではほとんど目立った発言がない。次期米国大統領バイデン氏との電話会談も行われたし、2050年までに化石燃料全廃といった話や、2035年にはガソリン車の販売禁止といった諸外国と比較しても全く新鮮味のない目標しか打ち出されていないのは寂しい限りである。

 

 率先して対策が必要な新型コロナ問題は、これと言って有効な手立てがないがゆえに、行政が率先して方針を決定していくことが必要であろう。たとえ結果的に失敗だったと評価される決断であっても、責任の所在を明確にしながら国としてのかじ取りをやっていく気構えが欲しいものである。国際社会においても、模範となるような対策が行われれば華が見られるようになるのではなかろうか。現在の及び腰では、だれも積極的に評価はしないであろう。それはまた政治が信頼を失う兆しにもなりかねない。