ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

コロナ禍でも、時は刻み続ける

 年末から1月末のラグビーの試合を観戦しようと話し合っていて、高校選手権が無観客になったので、今シーズンはトップリーグを見ようということで、チケットを購入した。しかし、コロナ感染者が減らないという事情から、緊急事態宣言が出された。そのため、チケットのキャンセルができないかという連絡をもらった。一人で見に行っても良いというつもりでいたが、すぐにトップリーグの各チームで観戦者が増えて、開幕延期つまり試合は中止の扱いになってしまった。

 

 コロナ禍は、私の唯一とも言ってよい気晴らしを奪ったばかりでなく、人間社会を限りなく混乱の渦に巻き込んだ。感染を恐れるあまり、様々なところで軋轢を引き起こしている。病院や老人ホームで容態が急変し死亡した場合には、肉親が死に顔も見れない状況が起きた。そして重症者が増えるにしたがって、救急患者がたらいまわしにされ、医療がひっ迫しているとういう事態を招いている。これは、行政が新型コロナの感染症2類指定をインフルエンザと同じ5類指定にするといった措置を取る、あるい一定規模以上の医療施設に対しては一部の病棟を新型コロナ患者用にするといった医療法を改正することで、現状の課題に柔軟に適切な対応を試みることが可能になると考えられる。

 日本政府にすれば、経済をできるだけ悪化させずに、新型コロナを封じ込める手はずであったのだろうが、その目算が狂い続けている。ここにきて、特措法に罰則規定を設けるという禁じ手を出そうとしている。私権を制限した上に、要請に従わなければ罰則が適用されることになる。これが民主主義国家の在り方であろうか。行政が適切な指示を出していれば、コントロール可能な場面で、言葉だけでは管理しきれないからと、鞭を振り回すようになっては、そのうち誰からもそっぽを向かれるようになる。国民の信頼を得るためには誠意をもって、納得いくまで政策の趣旨を訴え、説明すべきことは説明責任をはたすべきである。

 

 行政は政策を実施するにあたっては、絶えず最悪の事態を想定しながら、できうる限りそうならないように対策を講じていくものであり、修正すべき事態が起きれば、ただちにその理由を明確にして是正措置を取ることが大切である。国民が安全に、そして豊かに日常生活を送れるように、政治は行われる。そういう意味では、政治権力を握る人たちの目は国民と同じ視線であるはずである。一日一日を一分一秒を大切にしながら、国民の暮らしを見守ることが求められている。