ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

明けない夜はない

 遅まきながらですが、新年あけましておめでとうございます。今年はこういう挨拶がふさわしいかどうか、昨年来のコロナ禍騒動により、疑問符がつくような事態が続いている。とはいえ、新たな年を迎えることは、私たちにとって気持ちを切り替える数少ないチャンスを与えてくれるものでもある。これまでの自分自身の言動を振り返り、新しい年をどのように過ごせば良いかを展望し、新たな目標を立てる良い機会であることも明白である。残念ながらコロナ騒動の収束にはまだ時間を要するだろうが、個々人が体調に留意しながら、コロナ後の社会でどう過ごすべきか真剣に考える時間にもなりうるのではないだろうか。

 

 昨年を振り返れば、現存する人類のほとんどがこれまで経験したこともなかった新型コロナ感染症一色の一年であったような気がする。これまでは冬と花粉が飛ぶ時期だけ必要だったマスクが、見苦しい姿でしかない真夏の時期にも必需品として愛用され(?)、一人ひとりの素顔がほとんど隠されてしまった。しかも、マスクを強要する無言の圧力が、どこからともなく絶えず覆い続けたため、息苦しい雰囲気が年中感じられた。もちろん閉ざされた空間内では、マスクの着用は感染症を抑える意味においても、他者に配慮するエチケットとしても当然理解できるものの、開放感のある屋外を散歩するときにまで、マスクをしていない人に対する威圧的な態度に違和感を感じたのは私だけではないだろう。しかも、完全な感染リスク回避などあり得ないと思えるのだが、コロナ感染者が多い都会からの帰省や訪問者を拒否する自粛警察さながらの動きが何度も報じられた。コロナ感染者の看護に従事していた医療関係者に対する感謝の気持ちが見られる一方で、感染リスクを拒否するだけの忌避的な差別的態度が見受けられたのも残念である。そういう意味では、日本人の陰湿な性格の側面が、いやおうなくあぶりだされた一年であったと考えるのは私だけであろうか。

 

 さらには、結果的には混乱のるつぼを生み出した学校の一斉休校もあった。感染拡大を恐れた行政が一大決心の末に断行した政策は、国民に二枚ずつ行き渡る感染対策用のマスク配布とともに多分歴史に残るであろうバカげた政策ではなかったか。若年者は感染してもほとんど症状が出ないというコロナの特性で言うと、家庭内感染のリスクを減らしたという意味では少しは効果があったかもしれないが、拙速な政策であったことは否めないであろう。学習の機会を少なからず失ってしまった現役の小中高大の生徒さん、学生さんはこのコロナ禍の経験を終生背負って生きることになるのである。新たなオンライン教育の幕開け時代に立ち会ったとも考えられるが、リアルな現実からますます遠ざかる方向になり、コミュニケーション能力に関しては衰退リスクが高まったのではないだろうか。

 

 また年明け早々に東京、神奈川、埼玉、千葉の知事が政府に対し緊急事態宣言発出の要請を行い1月8日から適用された。引き続いて関西でも大阪、京都、兵庫も知事から同様の要請が出され、実施されることがほぼ決まっている。感染拡大が収まらないがゆえの措置とはいえ、営業の自由を束縛しかねないだけでなく、私権の制限を伴う緊急事態宣言の発出を国民の側から願い出て政府に実施させる。これは今後半永久的に悪例として残る違和感を大いに感じさせるような出来事である。今後、緊急事態(?)が生じるたびに、国民の権利を制限するフリーハンドを政府の手に委ねたというリスクの大きさを自覚しているのだろうか。問題になっている医療のひっ迫という点では、新型コロナを感染症の5類(現在は2類)に指定しなおすだけで、インフルエンザと同様、どこの医療機関でもそれほど負担をかけずに診察が可能になるはずである(感染リスクの高さはあるが)。また行政が主導権を握り、地域の医療機関の役割分担を的確に指導していけば済む話である。重症患者は、コロナ感染者だけではないはずである。感染リスクが高いからと、感染の有無を判断する初動部分で多大な人的資源が費やされれば、医療機関は疲弊してしまうのも当然である。そこを改善するほうが、緊急事態宣言発出による経済活動の低下を懸念するリスクが低いのではないだろうかと考える。

 世界に目を転じると、11月アメリカの大統領選挙が行われ、民主党のバイデン候補が勝利してこの1月20日に大統領に就任することになった。民主党政権誕生に先んじて、決選投票とされていたジョージア州上院議員選挙がつい先日行われ、民主党が2議席を確保して、その結果共和党民主党ともに50議席の同数となり、議決に際して賛否同数になれば副大統領の票をカウントする規定により、かろうじて下院、上院で民主党優位が確立し、バイデン次期大統領が目指す政策が断然やりやすい環境が整った。トランプ大統領が散々かき回した国際秩序を修正しながら、申請アメリカが目指す政治を押し進めることは困難を極めるであろうが、アメリカ自身が自国第一主義から脱却していくことが現在の国際社会の混乱を終息させることにつながるし、国際協調の機運を盛り上げていくることにもなる。米中貿易戦争の中で、保護貿易の比重が高まりつつあった国際経済の問題をはじめ、コロナ感染症の終息や環境問題解決を目指すためにも、各国が自国の利益だけを主張するのではなく、妥協できる部分を探り、国際社会が相互協力を進めなければならない時である。今だけ、自分だけ、といった刹那的な利己主義を抑制して、他者に配慮する利他主義に徹することで、全世界が協調できるような枠組みを確立していくことが今や求められている。

 

 アメリカの国民の分断を象徴するような出来事もあった、中国政府が香港の民主化運動家を拘束する出来事もあった。そして欧米や日本では新型コロナが猛威を振るっている。2021年は混乱の中で幕を開けた。それでも歩みを止めることなく時は動き続ける。現状の課題に果敢に立ち向かい、人類の叡智が結集して問題解決をはかることで、光明は見えてくるはずである。一人ひとりが知恵を絞って目前の課題を少しずつ片づけていくのと同様である。手をこまねいていても事態は改善しない。そして自己の利益に執着していては、問題の本質を見誤る。現実を直視すればするほど困難な状況ではあるが、一歩一歩私たちは前に進むことで光明が見えてくるはずである。