ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

自助・共助・公助

「まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います」と、安倍晋三内閣の後継総裁として最有力の菅義偉官房長官が、これこそが私の言いたいことだとフリルをもって語っている。

 

 それは、すべてのことが順調に推移していれば当然そうあるべきであろう。しかし、今回の新型コロナのような事態がいったん起こると、さまざまな不具合が出てくる。たとえばインバウンドが街からほぼ消えた。インバウンドの爆買いで維持されてきた売り上げはとたんに減少し、宿泊施設や土産物屋、デパート、ドラッグストアなどが閑古鳥が鳴く始末であり、収入が途絶えてしまった。日銭が入るからこそ、人を雇い、水道光熱費を使って、店を開け続けたのである。大型バスを利用して観光地を行脚してくれたからこそ、バスを購入し運転手を雇用したのである。しかし、人の波がいつ戻ってくるのかわからない状況になれば、高い賃貸料を毎月支払う余裕はなくなるし、人件費も重荷になってくる。それでなくてもさまざまな借財の支払いが待っている。

 

 余力がなくなれば、経営は破綻するし、雇用契約を解除されれば毎月の収入は途絶える。行政は定額給付金や持続化給付金という名目で手当てはしているものの、自助努力だけでは身動きが取れなくなっている人々がどれだけいるのか把握できているのか。雇い止めを宣告され、住むところを失った人々がどれだけいるのか把握できているのだろうか。

 

 また核家族化が進み、単身者世帯が増加した現在、家族が助け合うことの難しさを感じている人も多いであろう。介護離職を余儀なくされ、介護を必要とする親だけでなく自分自身の生活不安までが身近なものになってしまったら共助どころではないであろう。そして過疎化が進む中で、あるいは隣近所にはまったく関心を示さない人々が多くなった地域社会で、どれほど共助を期待できるのであろうか。

 

 自助・共助を謳うためには、それなりの歳月をかけて十分機能するような制度設計がなされるべきだし、お題目だけではなく、確固としたセーフティネットが張られるべきである。その網にもかからなかった人々がたどり着くのが公助ではなかろうか。

 

 一人当たりGDPは、アベノミクスが喧伝されている間も下がり続け、韓国にも追い抜かれる寸前となっている。少子高齢化が教科書に掲載されてからでも20年あまりになる。労働力不足は予測されていたにもかかわらず、海外からの研修生頼みという泥縄式の対応。非正規労働者が4割を超える事態になって、同一労働同一賃金。取り方によれば賃金引き下げの理由づくりとも思えるような雇用状況を生み出してしまった。

 

 国民の多くが幸せになるために、政治はおこなわれるべきだと考えるのだが、どうも政治家の世界ではそうではないらしい。新しい日本国の指導者は、将来のビジョンをしっかり打ち出して、国民にその是非を問うように心がけていってもらいたいものである。