ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

排除の論理は裸の王様を生む

 意にそわない人を遠ざけていく、閑職に追いやる。人間、自身の意向に沿わず反対意見が多い、あるいは反抗的な態度が目立つ。そのような人々とのやり取りは消耗が多いので、自身にとって煙たい人物を、次々周囲から排除してしまうのが権力行使の道であると信じ、権力を振り回していると気が付いたときには、イエスマンばかりが残っている。そうなると、組織の自浄作用が働かなくなるまでにそれほどの時間はかからない。

 

 少なくとも、このような排除の論理がまかり通ってしまえば、大きな組織になればなるほど人はいくらでもいるのだが、役に立つ人材はほとんどいなくなってしまう。有能な人ほど、目立たなく立ち回るし、異論を述べる声はどんどん小さくなり、結果として組織としての活気を喪失してしまうだろう。上司の顔色をうかがいながら、そして人事権を持つ人にこびることでしか仕事をしない悪癖を生むことになる。

 

 古来、有力者に忖度するような人物ばかりを残していくような悪弊を作り出すと、結果的には衰退の道をたどるのが古今東西の歴史をたどれば明白になる。権力者にすれば、反対意見を封殺し、効率よく人を動かせるというのだろうが、様々な意見を取り入れて絶えず変動していく柔軟性を有している組織のほうが、生き残る可能性は高いのは当然であろう。

 

 人事権を集中させ、少数の権力者の意のままにすることは、排除の論理を作り出し、裸の王様を生む要因となる。謙虚さを忘れない知的な為政者であれば良いのだが、所詮人間社会で偶然手に入れた権力を振り回せる能力を持ち合わせていると勘違いしている人が行うこと。あまり期待できないのが常である。理想ばかりを追い求めるだけではどうしようもないか。もう少しだけ庶民として参政権を行使するなどしなければ歯止めにもならないであろうと思われる。