ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

今こそ、政治家がその指導力を発揮すべきではないのか

 小説家が小説を書くのは、小説家の思いを少しでも多くの人に理解してもらいたいからであろう。読者はそれぞれの尺度=各自の価値観で、文章を読む過程で自分自身を納得させられる理解を試みている。したがって同じような読後の満足感があっても、それぞれの読者で差異が生じるのは仕方がないのかもしれない。作者にとっては、小説で表現したことは、単なる問題提起でしかないのかもしれない。少なくとも政治家のマニフェスではありえないのは当然であろう。

 

 今週に入り、コロナ禍は新たな段階にはいったようである。大阪府では、重症者病棟が施設面(ベッド数、人工呼吸器)ではもちろんのこと、その施設運用を支えるスタッフ不足という面でも、明確に医療のひっ迫状況を迎えようとしている。問題は二つある。第一にコロナの重症患者受け入れを行う施設は、他の救急患者の受け入れを制限し始めており、コロナとは別の要因で緊急手術などを必要としながら即時対応が困難になりつつあることである。第二に、呼吸困難になった患者が複数出てきた場合、人工呼吸器が不足することはすでに予測されている。現場対応で人工呼吸器の取り付けを行うことができる間は問題なかろうが、限られた究明装置を誰に装着させるべきか、現場が混乱状況に陥いる時期が間もなくやってくる。現場スタッフが判断に迷ったときに、政治的判断による優先順位が明確に決められておく必要がでてきたのではないだろうか。

 

 極端な話、限られた数の究明装置はより回復可能な人に使用されるようにすべきではなかろうか。眼前の肉親者の情に流されるような対処方法では、万人の理解を得ることは難しくなる。極端な例を挙げるならば、80代の人よりは70代の人に、さらには50代よりは40代の人にと、これから人生を謳歌できる可能性が高い人、つまり若さを優先していく形でも良いし、ほかに納得いく理由づけができるのであればそれでもかまわない。要は誰かが責任をもって「こういうルールで行いましょう」ということを決めるべき時が来たのである。明確なルールがあれば、少しでも混乱状態は収まる。

 

 様々な事態を想定して、政治家は現場に決断を促すルール作りを試みる必要がある。権力を行使するということは、そういうことである。国民のことを真摯に考えた行動が良い結果をあげれば賞賛されるし、そうでなければ非難されるかもしれない。しかし、献身的な行動は支持されることは間違いない。