ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

最低限度の生活保障?

 生活保護費の支給額を引き下げた厚生労働省の判断について、「裁量権の逸脱や乱用があり、生活保護法に違反している」という判決が先月大阪地方裁判所で出た。この判決は、大阪市をはじめとする12の地方自治体に支給額引き下げを決定したけっていを取り消すことを求めたものである。それに対し、自治体側が国と協議の上、判決を不服として控訴する考えであることが取材で明らかになった。

 

 コロナ禍の影響で昨年12月の生活保護申請が全国で1万7308件と前年同月比で6.5%増となり、4か月連続で増加している。雇用情勢の悪化で、解雇や雇い止めが増えている状況の中で、生活困窮者は増えるばかりである。そんなさなかで、財政を悪化させるかもしれない要因は少しでも取り除きたいのが行政の思惑にあるのかもしれない。しかし、それを言うならば、生活弱者をさらに痛めつける方向に向かうのではなく、議員活動を全く行わないまま議員歳費を全額もらっている問題や収賄疑惑で退職した特別公務員の給与を支給するといった、国民感情を逆なでするような事態こそ減らすべきではなかろうか。今訴追されている国会議員は、保釈金5千万円を支払って少なくとも自由の身となっている。

 

 議員定数の削減や議員報酬の一部返上といった、身を切る改革がなかなか進まない。議員としての特権が多いためだろうか。政党助成金についても、こんな時節柄だからこそ見直す機運が出てきても良いのではなかろうか。

 

 それはともかくコロナ禍が一段落すれば、仕事を失ったりして、収入が途絶えた生活困窮者が増えることは予測されることであろう。菅義偉総理大臣の長男が関与する総務省の接待問題もあるが、桜を見る会森友・加計学園問題などしばしば国会審議を中断する問題が多発して予算委員会などの審議がストップしているが、これらは特別委員会を立ち上げて処理していくほうが合理的ではないか。予算審議は、国の財政の基本的な概念を与野党で徹底議論する場である。毎年の予算成立もそうであるが、国民が安心して生活するために必要な措置は何か、制度は何かを考察しながら、予算をどのように配分していくのか、真剣な議論を繰り広げてもらいたいものである。

 

 経済の発展がどうしても不可欠なら、個人需要の増大を考えて、家計の可処分所得を増加させるためにはどんな政策が実施されなければならないのか、与野党で主張をぶつけ合う必要がある。地震をはじめとする災害に対し、必要不可欠な対策を講じるためには公共事業が大切だというならば、それも議論すればよい。防衛予算が増額されなければならないなら、社会保障費がもっと必要だというならば、それも議論すればよい。そして財源が不足するならば税制をどうするべきかそれも議論が不可欠である。

 

 残念ながら、与野党ともに協力して、あるいは明確なビジョンを打ち出して国家百年の計を考えて議論する体制は全くと言ってよいほどできていない。選挙前の体裁としてはそれらしきもの(マニフェスト)が出てくるが、それでは国民は選択しようがない。それほどに政党の主張は国民の信頼をなくしているのである。

 

 コロナ禍は、世界中で国の財政出動を無制限にまで押し広げている。それほどの経済危機だという認識が世界中で成立している。しかし、落ち着いたとき、限られた財源の分配を適正に行っていかなければ、結局は国民にしわ寄せがいく。政策実施の優先順位を正確に決めていかなければ、苦しむのは私たちの子孫である。

 

 国会も内閣も、マスコミも、将来を見据えて、自分たちの役割を再確認してもらいたい。自分たちの周辺だけを視野に入れて、利益誘導を繰り返していれば、それこそ世論から見放される。目前の課題に対処しているだけでは、長期の展望を描くことはできないのは当たり前である。