ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

非日常の日常化その2

 これは私だけの印象なのかもしれない。これまであまり意識せずにやってこれたことが、少しずつ躊躇せざるを得なくなっているようである。たとえば、昨年3月に退職して田舎に引っ込んだ友人。時折メールでやり取りはしているのだが、それまでは月1回はどこかで顔を突き合わしていたこともあり、なんとも旧来とは違った状態になってしまった。1年ぶりに会おうと連絡をとりあったが、そこに追い打ちをかけるように降ってきたのが、今回の新型コロナ騒動。

 

 久々に一度会おうという企画はもろくもつぶれてしまった。なんとか世話を続けていた畑で収穫できたとれたて野菜を最近宅配で送ったのだが、今日郵便でお返しに展覧会の招待状を送付してくれた。素人が作った普通の野菜であったにもかかわらず、それに反応してくれる厚誼に感謝しながらも、直接会って会話ができないもどかしさは残る。振り返れば、毎週誰かと会って様々な話に思いを馳せていた時間が、今となっては遠い昔の話になってしまった。

 

 貪欲な人間の本性を見せつけられる。そして、うまい話に乗せられる自分自身の軽薄な性格を映し出す姿を感じて自己嫌悪に浸る。これまでは、相槌を求める相手が必ずいた。時には賛同し、時には痛烈な皮肉を繰り出しながらも、真摯にお互いのことを理解できていた友人たちとの会話は極端に少なくなり、これまでの日々とは大きく様変わりしてしまった。だからこそ新しい日常の中で、自分自身の平静を保てる場所を探している。まだ永遠に続くようなものを見つけるにはいたっていないが、精神の安定を求めていることは確かである。