ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

非日常の日常化

 今はやっているという肩に乗せる扇風機を父の日のプレゼントとしてもらった。暑い日に畑仕事をしている時に、少しは涼しく感じれるのでは、ということらしい。私にすれば畑仕事のあと、風呂で汗を流してから飲むビールのほうがありがたいのであるが、まあ存在を忘れられないだけましと考えていれば良いのだろうか。

 

 それにしても、新型コロナ感染拡大の影響は、知らず知らずのうちに私たちの生活を大きく変化させている。たとえば、外出にはマスクを携帯することが、ほぼ義務化してしまった。歩いていてもマスクをしている人が多い。私などは息苦しさしか感じないのだが・・・。たまに電車に乗っても、マスクをしていない人はほとんど見かけない。忘れたときの予備に、かばんには必ずマスクを忍ばせておくようになったのではなかろうか。狭い室内に入るときは、マスクは必需品かもしれないが、そうでなければ強制されるものではないと思うのだが、あくまで自発的なものとして使用されればと願っているのだが。

 

 新型コロナの感染者が日本では結構少なくなっている。世界では統計が取れているだけで1000万人をこえるところまで増大したが、アフリカや南アメリカでは信頼できる数字は上がってこない。感染者の数が多くても死者の数が少なかったりで、およそ信頼できる数字が集計されているとは言い難い、少なくとも世界各国の数字に関してはそう考えるしかなさそうである。

 

 ひるがえって、日本の数字は微妙である。東京の感染者数が55名を数え、第二波の流行を思わせるようである。スペイン風邪の時は、第二波で致死率があがったという記録が残っているだけに、日々の数字の増減に一喜一憂するしかないのが現状であろう。

 

 そしてその可能性がある限り、これまで気楽に連絡を取り合っていた知人たちと、簡単に連絡が取れなくなった、メールを送れば良いではないか、電話すれば済む話ではないか。そう思うのだが、その前にいろんなことを考えてしまう。近所を散歩していて出会う確率が高い知人たちでさえ、まず問うのは体調のことになる。年齢のせいかもしれないが、それだけではない。働き方の改革もどんどん進んでいるし、利益が出る仕事も様変わりし始めている。旧来のアナログ人間では、生きづらくなりつつあるデジタル社会についていけなくなっているのであろうか。