ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

健康は大切だが・・・

 だからといって小池百合子東京都知事や吉村大阪府知事が願っているように、政府が緊急事態宣言を出せば問題は解決するというものでもない。新型コロナの感染拡大は、4月2日現在でも東京で97人の陽性を確認するなど、全国各地で増加傾向は続いている。大阪では、減少に転じない感染者数に危機感を持ち、大阪府下の学校休校措置を5月6日まで継続することを決定した。それでも、このままでは医療崩壊に陥るという懸念から、自治体が強制措置を取れる「緊急事態宣言」発令を待ち望むような発言が聞こえてくる。

 

 予定されたベッド数をはるかに超える重症患者や隔離すべき患者の収容先を確保しなければ医療崩壊もありうるという各自治体の長の仕事を全うしようとする気持ちは敬意を表せざるを得ない。しかし、人権の制約をともなうことになる「緊急事態宣言」の発令は、あまりに安易な選択ではなかろうか。イスラエルでは、第一次中東戦争のときに発せられた非常事態宣言が、いまだに継続しているという(これはホモデウスの作者ハラリ氏が語っていたことである)。権力が一度握った独裁権を手放す保証はない。

 

 法治国家が何らかの事情事態に陥った時に、例外的に時限を区切って憲法上の私権を制限することが、本来の緊急事態宣言である。それが有効に機能すれが良いが、憲法が保障する人権を半永久的に制約するリスクもあるのだ。金沢大の仲正教授は「安部さんが記者会見で述べたように、今回の一連の対応が本当に『私の責任』というならば、たとえ事後でも緊急事態宣言を出した首相の責任の有無。所在が問えるよう、事後検証の仕組みを議論して整備すべきでした」と語っているように、日本の人権が危ういところにあることを国民は自覚すべきだ。

 

 欧米各国でも、強硬意見が通り始めている。民主主義国家としての理性が機能していない部分が見え隠れする。健康は大切なのだが、安易に強硬措置が通り始めると、そこから引き返すのは至難の業になるのではなかろうかと、危惧するばかりである。