ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

9月入学を前向きに考えよう

 日本教育学会は拙速な結論は禁物であると、9月入学に反旗を掲げた。たしかに学年制に固執するのであれば、たとえば来年9月を新入学とすれば、新しく小学校1年生になるのは2014年4月2日生まれ~2015年8月31日(9月1日)までの1年5か月の間で生まれた子どもたちで通常の1.5倍近い人が小学校1年生になる。そして7歳5か月まで学校に通わない子どもを生むのだから、通常の年度とはまるで異なる。この異常事態を新型コロナの感染拡大による変革期だから仕方がないと考えるか、それとも学校制度の変革期に現場の対応が非常に難しくなると考えるか、さまざまな異論が出てきて当然である。

 

 しかし、学年制にこだわらなければ、とりあえず来年9月からのスタートでは、小学校1年生に関してはクラス数を1.5倍近くに増やして生徒に対応する(もちろんスタッフも増員する)とともに、毎年年度末の7月(別に年1度でなくても良いし、12月と4月などにも進級テストを実施することを考えても良い。随時進級できるシステムに変える方法も、教科ごとでそういう進級制度を創設する考えもあるのではないかと思われるが、複雑であれば年1回程度にする=つまり国語は3年生相当、数学は5年生相当など)に年度ごとの達成目標の理解度確認(学年の課題がクリアできているかをチェックして、達成していなければ進級を断念してもらう制度の導入を進める)することで、生活力を含めた学力の定着を試みるようにしていけばよいのではないだろうか。優れた成績をだせばどんどん進級させていけばよい(飛び級もありである)。ただし、理解度が水準に達していなければ、もう一度理解できていないところをやり直す機会を与える。このことによって、社会に出ても自信をもって生活していける生活力を身に着けてもらうことを最低限の教育目標とする。

 

 学校の出席率を考える必要はない。それよりも一定期間(大概1年であるが・・)を経過すれば、どんなに学力が身についていなくても、考える力が身についていなくても進級していくことが当然のように考えられてきた戦後の慣習が日本の教育レベルを押し下げてきた点を反省すべきではなかろうか。英才教育の勧めではない。これからのAI時代を想定するなら、どういう能力を身に着けて社会に巣立っていく必要があるのか。そこをしっかり考えながら、学習を進めていくことが大切であろう。格差を覆い隠す形で悪平等が続いてきたが、そのような子どもたちをやさしく抱擁してくれる偽善的な時代は過ぎ去ったのではなかろうか。子どもたち一人ひとりが自信をもって社会に巣立っていく教育の在り方を真剣に議論するには、今回の新型コロナ感染拡大の一斉休校は、良いチャンスになったのではなかろうかと思うのだが。

 

 たしかに、どのような決定がなされても現場の混乱は避けられないし、そして変革期に理不尽な思いをする人々が少なからず出ることは否定できないが、オンライン授業の進化はあるだろうし、個別学習システムも大きく利便なものになっていくであろう。多くの生徒たちに不満を残してきたであろう一斉指導よりは、個々の理解度に合わせて個別対応で指導してくれる時代が来ようとしている。別に欧米先進国に合わせて、9月入学を推進しようという話でもない。今回の3か月近い一斉休校がもたらす、教育格差の拡大を、さらなる詰込みによりひろげてしまうリスクを回避しようという狙いがある。メリットもデメリットもある問題である。これから拙速にならない程度で議論して時代の子どもたちにとって最善の制度を構築してくれればありがたい。