ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

一見平等ではあるが・・・

 今日の新聞には、日本人の愚かしさが映し出されていたような気がする。平等とは何かを感が得させてくれる。市長や町長が余ったワクチンを打ってもらったことに対して、医療従事者でもないのに、年齢もまだ若いのにといった理由で非難を受けていた。なんとも責める相手が小粒ではないか。そしてその理由も、単に結果としては自分が後回しにされただけの話ではないか。

 

 新型コロナに感染した子供に対し、学期の間は登校するなといった、感染したことがとても悪いことだという非難の言葉は、残念ながら聞くに堪えない。病気そのものを毛嫌いするのは何となく理解できるが、病気になった人を忌避する。そして差別する、それは論外である。病気で苦しむ人に追い打ちをかけるような差別的発言。それは自らが絶対感染しないことを前提に行われているのであろうか。そういう想像力も欠如して、他人を責めることで、自らの感染は防げるとでも考えているのではないだろうか。

 

 想像力の欠如という点では、重症病棟のひっ迫で、人工呼吸器が使える患者が少なくなっている。肉親の情として自分の親が人工呼吸器を装着できなかったら、何と思うだろう。人工呼吸器が装着されれば、もう少し長生きできたのではなかろうか。そういう思いが残るかもしれない。しかし、いまや若い人たちの間でも重症化して、人工呼吸器を必要とする新型コロナ患者が出てきた。そんな人たちに対して、自分たちの親に人工呼吸器を先に使わせてくれと主張できるだろうか。ましてや大阪大学ICUでは、従来の重症患者を追い出して、新型コロナの重症患者専用病棟に変えてしまった。

 

 つまり、新型コロナ患者の重症患者が増えれば増えるほど、人工呼吸器を使用する際の優先順位をどうするのかトリアージが必要になるだけでなく、従来の入院手術を必要とする患者の治療も後回しになっているのが、嘘偽りない医療の現状である。一方でオリンピック委員会が募集した医者は定員を超える応募があったと聞く。なんとも不可解な現象ではあるが、行政はどのように解釈しているのであろうか。

 

 自宅で亡くなる人が増えている。入院先が決まらないために救急車が立ち往生する。これは市民生活の危機である。高齢者のワクチン接種が始まったものの、その予約がなかなか取れない。スタートラインを一斉にして、用意ドンで予約させることが果たして平等であろうか。しかも突然のキャンセルが出たときにそれを無駄にしないために行政のトップが優先接種すれば責められるという構図もなんか情けない姿である。これなら一層のこと年齢順で接種順位を割り当てる、地区別に割り振る。いろんな案が検討できたではないか。そして突然のキャンセルでワクチンを無駄にしないアイディアも生まれたであろう。一斉の用意ドンは、公平に見えて、ものすごく不合理な結果を生んだ、そして醜い日本人の特性を如実に引き出してしまった。