ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

長生きはリスクである

 命の重さは、地球よりも重い。しかるに長生きをすることが、今や大いなるリスクに変わろうとしている。安倍内閣は、医療費の増大が続く中で、自宅介護の必要性を訴えている。けれども、介護離職という問題を一方で引き起こしている。やむを得ず親の介護のために離職したものの。介護期間が長引くと自分自身の生活が危うくなり、収入が途絶えてしまうという問題が出てきた。働きながら介護する。職場が近くで、結構時間が自由になるのであれば問題はないが、そういう職場は少ないし、しかも時間給は最低賃金になる。

 

 施設に預けたくても、それなりに毎月の費用がかかるし。たとえそれが十分に支払える余裕があっても、隣近所に対する体裁が気にかかる。生活保護を申請する条件が整っている人のうち8割が受給を申請していないといわれる日本社会の現状は、一方で行政の財政を支えてはいるが、日本が抱えている問題が表面化しないという問題を残してしまう。諸外国に比べて自己責任が強く要求される日本社会は、我慢強いのかもしれないが、行政の対応が常に遅くなってしまうデメリットがある。

 

 福井県敦賀市で起こった70代の会社役員男性と90代の両親の遺体が見つかった事件で殺人容疑を問われるのは、3人の介護を長年一人で担ってきた会社役員の妻である。夫が数年前に脳梗塞を患い足が不自由になってからは、一人で黙々と3人の介護を続けてきたのである。自分自身も70台になり、身体的な苦痛を感じ出していたのであろう。娘が二人いて、相談しようと思えばできるのだろうが、負担をかけたくないという気持ちが先に立ってしまうと、なかなか連絡がとれない。隣近所の評判も良いがゆえに、逆に気楽に愚痴をこぼす人がいなかったことも想像させる。

 

 介護する人が生真面目であればあるほど、相談できるところを失い、孤立しやすくなる。厚生労働省の調査によれば、2016年度で65歳以上の高齢者だけの世帯は1325万②千世帯、国内全世帯の4分の1だという。そして介護が必要な高齢者を同居する高齢者が担う「老々介護」の割合は半数に上り、増加傾向にある。施設が増やせないのであれば、行政が老々・多重介護の世帯に定期的に接触するような制度を設けるなどしなければ、今後ますますこのような悲惨な事件は繰り返されるだろう。殺人罪に問われる介護者を増やしてはならないし、もっといえば要介護者も介護する人ももっと明るく生活できるような環境をできれば構築したいものである。

 

 そう考えると、長生きはリスクである。生活していくための老後資金が減少するだけでなく、身内といえども他人にお世話になる期間が下手をすれば長期間に及ぶ可能性が高くなる。長生きが祝福される時代は、すでに終わりを告げたかもしれない。寂しい話だが、自分の心と体が自由に動かせる間に、どのように死を迎えるか自己をみつめることが必要である。