ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

初盆の顛末

 昨年夏に亡くなった親父の初盆がほぼ終わった。一周忌を終わらして間もないというのに、また親戚からお供えがあり、お寺さんは、5日に新棚のお性根(?)入れに来られ、14日のお盆のお参りに来られ、19日には施餓鬼供養があり、21日には棚送りである。この間墓参りがあり、迎え火、送り火と墓にも4回通った。お寺さんへのお布施やお礼、お供えのお返しなど村の風習に沿った形で行われるため、細かいしきたりもわからない小生としては、戸惑いながらお寺さんに聴けるところは聞いて、また親戚に問い合わせるなどしながら、なんとかこなせたかなとようやく自画自賛する。実をいうと、おふくろの初盆は2年前であった。しかし、親父がいたために実際動いたのは私だったのだが、主体的に取り組む意識がなかったために大体の段取りなどはおよそ想像していたのだが、お布施の額とか、その他細かいしきたりなどは全然頭に入っていなかった。何をするにせよ、自分自身が取り仕切るという気持ちでないと、残念ながら経験値として全くと言ってよいほどプラスにはならないことが再認識させられた。学習でも同様であろう。目的意識がないとなかなか頭に入ってこない。まさにその状況である。

 

 話は変わるが、新聞にTポイントカードのデーターが警察の求めに応じて提供されていたニュースがあった。リクルートが採用内定の辞退率を計算するソフトを販売していたというニュースもあった。個人情報に関しては、事前にほかに流用しないという但し書きがあるが、ポイントカードはポイントが溜まれば利用者に還元されるし、何をどこで購入したかという情報だけであるので、意外なことにほとんどの人があまり意識したことはないだろう。しかし、そのデーターの蓄積により、購入履歴をたどれば、どのような趣味があるのか、商品の嗜好についてはずいぶん正確なところまで判明するし、どの程度の支出額かもわかるし、そして行動範囲を絞り込むこともできる。監視カメラがあちらこちらに設置されるようになり、スマホのGPS機能も追跡可能である。そういう意味では、特定日時の行動についてすべて把握される可能性も高い。ここまでくればSF小説にあった監視社会に近づいていることがよくわかる。

 

 アマゾンやグーグルでの検索では、その利用者に応じての画面が瞬時で出てくる。その便利さは、自分の情報をどんどん売り渡すことで、その引き換えに手に入れているようなものである。クリック回数が最小で目的の画面にたどり着く。手間を省くという点ではうれしいのだが、パソコンやスマホのほうが、今や自分自身以上に自分のことを熟知するようになった証でもある。スマホのGPS機能は自分の行動の足跡を残している。それだけではない。収集している様々な情報も、自分が興味をもったものを中心に、しかも私自身が心地よくなるようなものを取捨選択した形で収集されるため、それが真に正確な情報なのか、私自身に読み解く読解力と知識が本来備わっていなければ、どんどん間違った情報に翻弄されるようになるかもしれない。自分に都合の良い情報ばかりしか入ってこないのであれば、あるいは真摯な苦言や忠告まで目に入らなくなれば、行きつく先は裸の王様である。

 

 ネット社会は、どんどん複雑化しながら進化を続けている。しかし、その進化がどういう未来を作り出すかは今やだれも想像できなくなっているのではなかろうか。