ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

夜中の豪雨

 朝目が覚めて窓の外を見てみると、土が濡れている。少しばかり雨が降ったのかと思ったが、家内に聞くと土砂降りの雨だったのこと。その豪雨の中、私は夢見心地であった。昨日最低限草を削り、抜ききれなかったところに2時間近く除草剤をまいた。雨のために効き目はずいぶんと薄れてしまっただろう。高い除草剤を貴重な時間を使って散布したというのに、それがこのありさま。

 少しでも効き目が残ってくれたらと願うばかりであるが、それが自分の行為が無駄にならなかった証明になるのだが、それこそもう少し時間をかけなければ判明しないだろう。半ばあきらめて今週末までにできることを模索しているが、それも何らかの結果が表れない限り決められない。どんな場合でも同様だが、こちらが期待している成果が完全に実現することはあまりない。これまでの経験からしてこちらがもくろんだ六割がたでもうまくいけば上出来かもしれない。そう思うと、少しは気持ちも持ち直した。

 今度の日曜日は参議院選挙の投票日、投票に行くかどうかそこがまた問題である。しかも親父の一周忌。朝からばたばたすることは間違いなく、夕方になっても落ち着けないかもしれない。期日前投票に行くこともできるが、その選択肢もここまでくれば時間との勝負。市役所まで走る時間を作り出せるかどうか。

 しかし、これまで投票権の行使は、怠ったことがない。少なくとも棄権はしたことがない。いつも野党を、とりわけ有力な野党候補に入れてきたのだが、あまり当選したことはない。それでも結構よい勝負になることがある。政権交代があった時などは、ようやくもう少しましな政治になると期待したものだが、あっけなくその夢は崩壊した。私自身は高負担高福祉が良いと考えているのだが、野党は高福祉は言うが、高負担は与党も一緒だが、選挙公約にはそぐわないのかどこからも聞かれない。教育・医療の低額化と合わせて、公平・公正な税制度確立、そして財政の透明化。国会論戦では、国家百年のビジョンを熱くたたかわせてほしいものである。真剣に議論し、百年後の青写真を与野党が議論の末作り上げてもらいたい。

 

 その青写真をもとに、社会保障制度を含め、日本の未来社会に向けて国民に信頼された政治が行われることを望んでいるのだが、なかなかうまくいかない。そろそろ無意味な一票を投じることはやめようかと思っているのだが、それでも居鶴の望みを託して、日本が少しでも良くなることを念じて一票を投ずるべきなんだと考える。参政権は国民の義務ではない。吹けば飛ぶようなものではあるが、憲法に記された基本的人権の行使である。権利の行使を怠っていては、憲法がなくというものである。