ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

徒然なるままに

 この4月から無職になりました。幸いというか、5月半ばまでは、親父の相続の件で、結構時間を取られ多忙な毎日でした。少ない財産の分配をどうするかで、もめることはなかったのですが妹たちと何回も話を重ねました。わずかの土地をどうするかが問題でした。親父や先に亡くなったおふくろの意志を生かすために、土地を売らずになんとかお金をかき集めて、期限までに納税しようと奔走していたのが実際です。

 そして何とか残した土地で、自家消費分ぐらいしか収穫できないのだが、野菜を作っています。秋に植えたたまねぎや2月に植えたじゃがいもを収穫したり、畝を作りなおして、そこに夏野菜の苗を植えたり種をまいたりして数種類の野菜を育てている毎日です。少しとはいえ、水やりは欠かせないし、なによりも雑草がどんどん生えてくるので、草抜きも手が抜けません。

 そうこうしているうちに、もうすぐ親父の一周忌があり、それが終わると初盆、親戚の手前そこまでは格好をつけないと、あとあと面倒なことになるという強迫観念が強くありました。本来なら相続がほぼ終わったところで、すぐにでも収入を手にするために新たな仕事を探さなければならなかったのですが、八月いっぱいぐらいなら、今の晴耕雨読の生活を続けてみるのも悪くないか、という気持ちで日々過ごしています。幸い家内も働いてくれているので、助かっています。

 

 そういう意味では、最近発覚した老後に自己資金2000万円は必要という金融庁の報告書には驚愕させられました。それが経済産業省の報告書では約3000万円に増えているのにまたまた。年金だけでは、特に満額に達しているわけではない私の給付額では、もっと不足金額が増えてしまう恐れまで出てきました。入金が少なければ支出を減らせばよい。それはそうでしょうが、こういう問題は個人では対処できません。政策でなんとか対応しなければならないはずだが、政府は自己責任にしてしまおう、という意識が見え隠れしている。  

 

 政策決定を議論する国会が、そういった意味ではあまり機能していないように感じられてならない。政府の答弁は都合の悪い部分は隠してしまう、論点を避けてしまう答弁が目立つ。残念ながら近年の国会論戦は、国民の生活向上を願った形で進んでいるのではなく、ひたすら与党の有する議席の数で、法案の内容審議に時間をかけるよりは、最後は強行採決という手段で法案を成立させており、主権者である国民を無視した権力横暴的な手法が目立っている。野党も弱腰というか、戦術が稚拙なのか攻めきれない。それもあってますます政府が傲慢になり、上から目線の、それこそお上の言うことが聞けないのかという姿勢が目についてしまう。国会議員も庶民の生活の困窮ぶりを、ほとんど認識していないのではなかろうか。選挙ぐらいでしか、有権者は不満をぶつけられないのが残念である。