ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

今年は暗いニュースで終わりそう

 コロナ禍は、オミクロン株の発生で世界を混乱の渦に陥れた印象。せっかく日本国内では感染者数が急減したというのに、残念ながら手放しでは喜べない予断を許さない状況であるようです。幸いにしてコロナ禍の影響は私の周辺では、まだまだ被害が大きかったとは言えないのですが、先日喪中のはがきをいただき、親しくしていた友人の逝去の報に接して、まったくの他人事ではなかったことを再確認させられました。

 

 コロナの影響ではないですが、叔母が余命僅かであることも知らされました。またいとこの配偶者も、私よりも若いにもかかわらず病状がなかなか改善しないようです。そういう意味では私にとって今年は良い話はなかったかもしれません。それにしても、友人の逝去の話を詳しく聞くと、運命のいたずらが人生を大きく変えてしまうことを感じざるを得ません。夫婦二人ともコロナにかかり、ひとりは人工呼吸器につないでもらっって助かり、もう一方はつなぐための機械に恵まれなかった。たったそれだけの差が生死を分けたのである。

 

 医療の現場は、そのような切羽詰まった状況の中で、できる限り多くの患者を救おうと奮闘されていたのだと推測する。それでも救えたかもしれない命を救えなかったという事実は記憶される。そこがなんともやりきれない。

 

 とはいえ、次々訪れる状況に対処を迫られる中で、記憶は遠のいていくのであろう。

悔やみきれない事実があっても、時間の結果は過去の事象として積み重なっていく。本人が納得しようが納得しまいが、どんどん過去のものにしていく。いや、人によっては決して削除できない生々しい記憶として永遠に生き続けるかもしれない。

 

 人生をポジティブに過ごすためには、そういった記憶は重荷でしかないし、少なくとも過去を引きずり続けることで、なかなか新しい希望を見つけることはできなくなるであろう。日々の生活から、笑顔が忘れられてしまう。それでは新たなる展望など出てこない。笑いを取り戻すためにも、自分自身の生活リズムを思い出して、活力を取り戻す必要がありそうである。

 

 マイナスイメージを植え付けられるような出来事は、日々少なからず起きているが、それでも自己認識としてそれらの事象をプラスに転化できる思考が可能になれば、少なからず気持ちは前向きになる。それを意識して明日から頑張ろうと思う。前向きにやるべきことを目標にして取り組んでいく、一歩を踏み出す。そんな姿勢が、苦しい時には必要なのではなかろうか。