ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

棄権は危険に通ずる。みんな選挙に行こう!!

 衆議院総選挙も終盤。明後日には結果が出てしまう。コロナ禍で評判を下げた主要国の首脳として名前が先ず挙がるのは安倍晋三元首相であったことを、日本国民は忘れてしまったのだろうか。つい最近もアベノマスクが倉庫に置き去りにされていたことが判明した。置き去りにされていた間の保管料が6億円という。一人200万円の非正規社員の年収を考えると実に300人分である。マスク代も考えると、その何十倍にもなる。これらが無駄な費用として消えていったのである。

 政治は、限られた資源をいかに国民にとって有効な価値あるものにしていくかを選択する場である。権力を行使できる者が、身近にいる人々だけに便宜を図るだけならば、残念ながら政治家として失格であろう。もちろん失敗もあるであろう。しかしその場合は、自らの行為の説明責任を果たし、国民の審判(理解)を仰ぐべきである。意見の異なる者たちを誹謗する事によって、求められた説明責任を果たさない態度は許されない。また、議論を深めることによって互いの溝を埋める努力を惜しんでいては、国民にとってよりベターな政策などは立案されないし、実行されることもまずないであろう。

 

 政策を選挙公約にして、国民に広く知らしめるためには2週間は短すぎるであろう。政治を国民にとって身近なものにする努力をする時間は十分に取れない。また、自分たちの政策の利点を説明しきれないであろう。しかし、この30年日本の経済力が大きく落ち込んできたのは、この間政権を担当してきた政党の責任であることは明白である。また、日本の平均的な家計が可処分所得を増やせなかった原因を作り出した責任の大半も政権を担ってきた政党が負うべきであろう。日本国民の一人当たりの国民所得が韓国より下位になったのも同様である。

 

 確かに政権政党が主張するように株価は上がったのかもしれないが、その恩恵には日本国民のほとんどはあずかってはいない。失業率が下がったという主張もあながち間違いではないが、それは非正規社員が増えたからであって、年間所得が200万円を切る貧困層を増やしたにすぎない。それよりも、輸出産業である大企業を支えるために、円安誘導政策がすすめたことにより、ガソリン高や食料品をはじめとする輸入品の高騰に日本の庶民層が苦しめられているのである。

 

 少子高齢化の最大の要因は、若者をまずは貸与型奨学金の返済で追い込み、就職氷河期で冷遇を続けた結果、働いても働いても豊かになれない人々を大量に生み出してしまったことではないのか。「自分だけ良ければよい」、「お金さえあればよい」、「今だけ良ければよい」という利己主義が、強欲主義が、経済成長を大きく歪めてしまったのではないだろうか。経済は生産と消費の絶妙のバランスがあってこそ、大きく成長するはずである。それが、持てる者だけが豊かになり続ければ、持たざる者は貧しくなるばかりである。経済格差の拡大が経済成長を阻害する最大の要因ではないか。

 

 第2次世界大戦後、冷戦があっても大きな熱い戦争が生じなかった状況の中で、資本主義経済はより大きな利益を追い求めグローバル化を進めてきたが、その過程では省エネなどのコストダウンの努力が最大限に続けられてきた。その努力が行き詰ってくると、人件費を削減することで利益を生み出すようになった。AIやロボットの導入もそうである。人件費負担を限界まで押し下げる非正規社員の採用もそうである。人件費を削減することで、企業はようやく利益を生み出すようになってしまった。生産性の向上は、より多くの人々が豊かさを享受するために進められるべきである。しかし、現実はほんの一握りのごく限られた人しか報われてはいないのである。

 

 衆議院総選挙は、日本国民にとって何年かに一度の政権選択選挙である。該当する小選挙区に支持したい候補者はいないかもしれない。比例で、是が非にでも勝ってほしい政党があるわけでもない。自分の一票など、どれほどの値打ちがある。投票所に行ったところで、政治が変わるわけではない。そう考えてしまうのも仕方がないかもしれない。でも2009年の選挙では大きく政治が動いたのである。新たに政権を握った政党が期待通りの政治を行ってくれたら、日本の政治家はもっと洗練されていただろう。国民は政治に対して多大な期待を寄せていただろう。期待が大きく裏切られた時、日本の民主主義は退化し、政治に対する不信感をもってしまった。

 

 しかし、動いたことは事実である。与野党が攻守所を変えて活発な論戦を交わし、国民の世論を絶えず意識しながら、緊張した政治を心掛けざるを得ない政治環境は作り出せるはずである。そのためには与野党議席差がごくわずかになることが望ましい。その状況を生み出すのは、国民一人ひとりが自分の思いを政治に反映させるために、参政権を行使することが必要なのではないか。

 

 棄権も、現在の政治状況に対する、自分自身の意思表示だと考える人もいるかもしれないが、それは政治家の横暴を許すだけであり、その弊害はこの10年近く私たちが見続けてきたことである。また私には関係ないと考える人も、それこそ自らの生活改善を将来にわたり呪詛するだけの時間を過ごすことになる。投票所に行ったからといって、大きく生活環境が変わることはないかもしれない。しかし、少なからず政治の動向が私たちの生活にかかわっていることを感じるようにはなるはずである。