ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

森喜朗の放言

 調整能力があるということで、重宝され、総理大臣にも就任したことがる。そしてお金を引っ張てこれる。それが能力として評価されているからこそ、現在も要職にあるのかもしれない。日本は、総理大臣にしても、こういった重要な組織の長にしても、人材が不足しているのかもしれない。本人は自身の放言が批判されたことで、即座に辞任を覚悟したらしいが、「余人には代えがたい」という言葉が出るほど、周囲はそれでは困るという発想がある。引き止められたがゆえに、辞めるにやめれなくなってしまったというのが真相らしい。

 

 しかし本人も周囲も誤解していることがある。「女性がいると会議が長引く」というのは失言ではない。本人が認識していることを正直に述べているだけである。したがって、謝罪会見は本人が望んで開いたわけでもないし、本人は別の意図があったのかもしれない。

 

 そうなると、どうも厄介である。明らかに女性蔑視の発言。国際社会でジェンダー平等の流れがある中で、日本は女性の役職者が低いという評価が定着しており、そんな状況下で、明らかに国際的な風潮に逆行するような発言をした人が重要な公的役職に居座り続けることを容認することになれば、日本はますますジェンダー後進国と見られるだろう。日本人は、自浄能力が低いという印象が出来上がってしまう。森さんに鈴をつける人が存在すれば良いのだが、そこに悩ましい日本の現実があるようだ。

 

 残念ながら、政界にも経済界にも、はからずもすぐに期待される人材名が出てこないのが現実ではなかろうか、これが日本の現状なのである。国会の論戦は低調になりつつある。森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会など安倍元首相の追及においてもそうだったし、集団的自衛権の問題でもそうだったし、議論が白熱するまでもなく、途中で打ち切り、そして強行採決の繰り返しであった。数でごり押しがまかり通ることに対し、与党は傲慢さを増してきたし、逆に野党は無力をさらけ出してきた。マスコミも、世論に働きかける意欲に欠けていた感が強い。

 

 そして政治の変化を望むべき国民もまた、現状に流されて、変化を望まないような雰囲気をつくりあげてしまった。はからずも噴出した日本の問題点は、民主主義に対する国民の意識の劣化であり、政治家の慢心であり、マスコミの脆弱さといったところにあることを露呈したことではなかったか。コロナ感染の問題が終結したのちに、どのような政策が国民を豊かにするのか、そんな真剣実のある政策論争を行い、高潔な理想を現実化しようという理念を持った政治家が多く出てくることを望むばかりである。