ぐーたら親父の言いたい放題

日々の様々なニュースを取り上げて、独自の視点でコメントします。これからの社会の変化を予測し、どのように対処すべきか提案できればと考えています。

友人の訃報

昨日、友人の弟さんからショートメールをもらった。「兄が永眠しました」という知らせである。弟さんは神奈川在住、身寄りのない兄の世話をするために週1回大阪に来られていた。亡くなった彼とは、職場で親しくなって15年以上のつきあいになる。月1回程度飲みに行っては、職場の話や政治・経済について雑談したことが思い出される。年が近いこともあり、同じような雰囲気の中で学生時代を過ごし、関心ある分野も重なる部分が多かった。

 ほとんど激高したことがなく、平常心で淡々と語っていたことが思い出される。論理的な思考の持ち主であり、聞き上手であり、話し上手でもあったように思う。肩ひじ張らずにひと時を過ごすことができる私にはもったいないほどの友人であった。がんの手術を7年前にして、2年前に再発の診断を受け、抗がん剤治療を続けていたが、最初はその薬が身体に合わず苦しんでいた。別の薬に変えてもらって通院しながらの治療を続けていたようである。よほどしんどくならない限り避け・タバコはたしなんでいた。酒に関してはそれが主食だといいはって、飲み続けていたようであるし,タバコもやめられなかった。

 3月の終わりに、私の退職時に3人で飲み、そして5月に親父の相続の手続きがほぼ終わったころに、昼食を食べたのが一緒に酒を飲んだ最後になってしまった。7月にまた飯でも行こうと誘うために電話すると、入院させられたとのこと、あわてて見舞いに行ったが、様子はあまり変わらなかった。痛み止めを張っており、それを交換しなければならず、点滴治療は毎日しなければならないがゆえに通院での治療は難しいとのこと。退屈であるし、何よりもたばこも酒も駄目というのがつらいと愚痴っていた。そして8月末、入院中の彼を見舞うとケアマネージャーも入って、入院が3か月近くなったから転院を進められているとの話を聞いた。痛みを我慢しているのか、全然そんなそぶりも見せず、安心させてくれたというのに。

 そろそろ1か月、また見舞いに行かなければと思いながら畑仕事の手順を考えながら、ラグビーを見ていた時、訃報が来た。突然の別れ、それは彼の淡々とした語り口を彷彿させるようにやってきた。思い残すことはあったのであろうが、安らかな眠りについた。昨年の親父の死去、そして昨日の友人の死、私自身はまだまだ大丈夫と胸を張りたいが、どこか空虚感が漂うように感じられて仕方がない。